ローカルプロジェクト

震災翌日より続けた炊き出し活動から芽吹いた新たな挑戦

ミシュラン星付きレストランのシェフが目指す「街に明かりを灯す場所作り」へ

令和6年1月1日に発生し、大きな被害をもたらした令和6年能登半島地震。未だ被害が色濃く残るなか、石川県で新たな挑戦に取り組んでいる方がいます。

今回ご紹介するのは、石川県輪島市にて能登の自然豊かな素材を使ったフランス料理店「L’Atelier de NOTO(ラトリエ・ドゥ・ノト)」のシェフである、有限会社ポムデーブの池端隼也さんです。

震災の影響で、自身もレストランと家を失ったにも関わらず、震災翌日から仲間を集い、炊き出し活動を開始。池端さんをリーダーとする「輪島セントラルキッチン」は、多いときには約2,000食にも及ぶ炊き出しを避難所などで提供してきました。震災から半年が経過し、輪島でも徐々に仮設住宅の建設が開始され、いよいよ池端さんの挑戦は、次のフェーズへと向かいます。

飲食店での収入が絶たれ、依然として厳しい状況ではあるものの「街に明かりを灯し、輪島の人々が笑顔になれる場所を作りたい」と、新たな飲食店オープンに向けて挑戦する、池端さんの取り組みを紹介します。

料理人として、能登の食文化を発信・創造する

池端さんは高校卒業後、フレンチの名店「カランドリエ」で修行した後に、フランスに渡り、星付きレストランで修行を重ねました。帰国当初は、大阪でレストランをオープンしようとしていましたが、地元能登に帰省し、改めて能登の食材や食文化、そこで作られる工芸品に触れたとき、その素晴らしさに感銘を受けたそうです。

「能登半島の豊かな自然の恵みが生みだす食材やそこで暮らす人々が作った工芸品など、能登の宝となる食文化を多くの人に知ってもらいたい」と、輪島塗の塗師屋の工房であった古民家を改装し、2016年にフランス料理店「L’Atelier de NOTO」を輪島にオープン。シェフ自らが生産者と密にコミュニケーションを取り、能登の素材を活かして作られた料理の数々は、ミシュラン一つ星を獲得するほど、高く評価されてきました。

また、池端さんは「100年後のNOTOの食文化を創造すること」をミッションとした、食に関わる料理人を中心として発足した団体「NOTOFUE(ノトフィー)」に参画。精力的に能登の食文化の発展を目指して、活動されてきました。

仲間と共に震災翌日から開始した懸命な炊き出し活動

令和6年元旦に発生した能登半島地震により、輪島の主要道路は遮断され、ボランティアも入れない逼迫した状況が続きました。池端さんも震災の影響でレストランと家を失ったにも関わらず、翌日の1月2日から炊き出し活動を開始。

輪島で被災をした飲食店を中心に、漁師、味噌屋、輪島塗りの塗師屋などを誘い「少しでも温かいものを輪島の方々に届ける」という想いのもと、炊き出しチーム「輪島セントラルキッチン」を立ち上げました。被災した店舗の冷蔵庫から食材を取り出し、水も電気もない状況のなか炊き出しを続ける日々。

「仲間と作った炊き出しを、地域の方の顔を見ながら1つずつ手渡ししていったことで、コミュニケーションの場が生まれ、支え合う循環が生まれたように思います。地域の方からの『ありがとう』が頑張る原動力になりました」と池端さんは活動を振り返ります。

震災から半年が過ぎ、輪島でも徐々に仮設住宅の建設が開始。池端さんは、復興に向けて進んでいくためにも、これからは生業の再建と住民の心のケアが必要であると考えます。

みんなが笑顔になれる場所を輪島に作る

震災が発生してから、輪島の街は長い長い冬に入ったように、静かになりました。

風情ある街並みは無くなり、夜の明かりも灯らなくなり、街に住み続けたくてもそれが叶わない多くの人々が輪島を離れなければいけなくなりました。

池端さんもまた、飲食業での収入が途絶えたことに不安を覚える日もあるそうです。しかし、炊き出し活動を通じて芽生えた絆を胸に、「輪島の街に明かりを灯し、輪島に住んでいる方々や復旧活動に従事されている事業者やボランティアの方達みんなが笑顔になれる飲食店を作る」と決意されました。

新しく作る店は「mebuki-芽吹-めぶき」と名付けられ、「この場所からみんなの笑顔や笑い声が響き、復興の芽吹きになれば」という想いが込められています。

既存の居酒屋を改修し、輪島の人々が集える場所をオープンするべく、クラウドファンディングに挑戦。一次目標の1,000万円を達成し、ネクストゴールの1,500万円を達成されました!皆様から頂いたご支援をもとに、輪島の街に明かりを灯し、復興の狼煙をあげる場所を作りたいと挑戦する池端さんへ、これからも応援をよろしくお願いします。

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