SMILE PEOPLE

やちや酒造株式会社

土地の歴史と風土を醸す日本酒を目指して。酒造りのプロフェッショナル「やちや酒造」の「能登杜氏」が語る、震災復興とこれから

北陸を拠点に全国に笑顔を届けている生産者や、職人の想いやこだわりに迫る「SMILE PEOPLE」。今回お話を伺ったのは、「能登杜氏組合」の組合長であり、石川県金沢市にある創業約400年の老舗酒蔵「やちや酒造株式会社」の杜氏を務める四家 裕(しやけ ゆたか)さんです。

杜氏は、酒蔵の最高責任者のことで、その中でも石川県の能登杜氏は、岩手県の南部杜氏、新潟県の越後杜氏、兵庫県の但馬杜氏と並び、日本四大杜氏といわれています。

やちや酒造は、創始者の「神谷内屋仁右衛門(かみやちやじんうえもん)」が、「加賀百万石の祖」と称される前田利家と共に尾張の国から移住し、前田家専用の酒蔵として誕生したのがはじまりです。江戸中期に建てられた酒蔵は、文化庁登録有形文化財にも指定されています。

2024年元旦に発生した「能登半島地震」の影響により、能登地方を中心に、多くの酒蔵は甚大な被害を受けました。建物や設備の損壊に加え、地震から半年が経つ今なお、酒造りに必要な水、電力などの復旧が見込めず、製造が困難な状況が続いている酒蔵も多いです。(2024年6月現在)

今回は、何百年もの間受け継がれてきた能登杜氏の歴史や、酒造りへのこだわり、震災復興に向けての想いを伺いました。

日本酒作りのプロフェッショナル「能登杜氏」

能登では、いつ頃から日本酒が作られるようになったのですか?

能登で日本酒の醸造が始まったのは、今から約400年前。兵庫県の但馬地方にある酒蔵から技術を学んだ杜氏達が能登で酒造りを始め、能登杜氏として組合になったのが約120年前といわれています。岩手、新潟など日本海側の雪国に日本酒の名産地が多いのは、冬場の糧を求めて出稼ぎに行く人が多かったからでしょうね。

現在組合には約75名の杜氏が在籍していますが、能登出身の杜氏は少なく、全国各地から酒蔵に杜氏として来た、県外出身の杜氏も多いです。

能登出身ではない方も多いんですね。

どこの業界もそうだとは思いますが、日本酒業界も担い手の減少や杜氏の後継者不在など、人手不足が課題です。全国の蔵元で杜氏の欠員が出た場合、組合から杜氏が派遣され、県外出身者がそのまま後継者として後を継ぐこともあります。

私自身も現在は、やちや酒造と神奈川県にある酒蔵の2つの杜氏を兼任しています。

土地の気候や風土を活かした酒造り

四家さんは、どういった経緯で杜氏になられたのですか?

元々は能登町にある「数馬酒造株式会社」で8年間営業の仕事をしていました。ベテランの蔵人が辞めることになり、営業から製造に異動したのがきっかけですね。日本酒は、その土地の気候や風土からの影響が大きいため、やってみると想像以上に難しかったのですが、その難しさが面白く、どんどん夢中になりました。飲んだ方からの「美味しかった」という声や、手掛けた日本酒が受賞したことも励みになりましたね。そこで10年程蔵人をした後、杜氏を任されるようになりました。

日本酒を作る上で一番大切なものは何ですか?

日本酒の一番の原材料である水ですね。水の味が変われば、当然酒の味も大きく変わってしまいます。後は、お米でしょうか。私は秋〜冬の間は杜氏として酒造りをしていますが、春〜夏にかけては農業法人で米農家もしているんです。先程も少し話をしましたが、酒造りにはその土地の気候や風土がとても大切で、気候や風土を守っていくためには、田畑のある自然を守っていく必要があると思っています。どのように米が作られるのかを身をもって知ることで、より酒造りに活かすこともできます。酒を作りたくて田んぼをしているのか、田んぼをしたくて酒を作っているのか…今となってはその両方だと思っています。

日本酒の味はどのように決めていくのですか?

日本酒は、その地域ごとに求められる味が変わるんです。例えば東京で販売する場合は、香りが芳醇であり、すっきりとした味わいで、シュワシュワとした口当たりの日本酒が好まれています。東京で売れる日本酒が同じように北陸でも売れるかといわれたら、やはり違います。誰にどんな場面で飲んでもらうかをまず考える。それによって醸造する日本酒も変わっていくと思います。

次世代に酒蔵を引き継ぐために

元旦に発生した地震では、どのような被害が起きているのでしょうか。

奥能登3市町にあった酒蔵は全11社が被害に遭っており、今年の仕込みどころか、今後10年は製造が難しいかもしれません。やちや酒造も酒蔵の土壁が一部崩落し、屋根の瓦がずれたため、現在もブルーシートで覆われた状態です。

私達杜氏は、組合のおかげで働く場所はありますが、大変なのは蔵元のみなさんです。奥能登は杜氏と社長が兼任した小さな酒蔵が多く、2023年5月の地震で傷んだ建物や酒蔵を修理し終わり、やっと酒造りが始まったところに今回の震災が起こりました。

米や酵母は、新たに作ることはできますが、大変なのは今後能登に人が戻ってくるのか分からないということです。いくらネットが普及したとしても、人がいなければ商売は成り立ちません。人口減少することが想定されるなかで、どこまでやっていけるのか。しばらくは厳しい状況が続くと思います。

今後の復旧・復興に向けて、四家さんの想いを教えてください。

最近では県外の酒蔵が、酒米を発酵させて作る日本酒のもと「もろみ」を引き取り、製造を代行する動きも出てきています。資金がないと蔵元も復旧ができないため、なんとか頑張って日本酒を作り、多くの方に手にとってもらいたいです。

酒蔵も、現在は冬から春先にかけて日本酒を仕込みますが、今後は年間を通して酒造りを行う「四季醸造」に変えるなど、もっと小規模に醸造する方法を模索していく必要があるかもしれません。

若い蔵元も多いため、なんとか心折れずに踏ん張ることができれば、次の世代に酒蔵を引き継いでいけるかもしれません。復興のためにも、多くの方に石川の日本酒を飲んでもらいたいです。

前田利家ゆかりの、金沢らしさが感じられる日本酒

取材後、やちや酒造株式会社 代表取締役社長の神谷昌利さんにもお話を伺いました。

「今回の震災の影響により、金沢に訪れる観光客も減少している。まずは金沢に足を運んでもらい、当酒蔵も含め、被害を受けながらも復興に向けて頑張っている酒蔵の日本酒を味わってもらいたい」と話されていました。

やちや酒造が作る、加賀鶴特別純米酒「前田利家公」は、JA金沢市「三谷やちや部会」所属の農家と契約栽培した酒造好適米「五百万石」を使用し、酒米の旨みとおだやかな香が調和した、ソフトな口当たりのお酒です。

震災復興のために一個人ができることは限られているかもしれませんが、今私達にできるのは、能登地域をはじめとする被災地域が1日も早く日常を取り戻せることを祈り、石川の商品やサービスを買って応援することではないでしょうか。

金沢の歴史と風土が凝縮された日本酒を楽しむことが、復興への一歩につながることを願っています。

やちや酒造株式会社

1583年に前田利家と共に移住した創業者が、前田家専用の酒蔵として立ち上げた老舗酒蔵。加賀鶴特別純米酒「前田利家公」は、契約農家が栽培した酒造好適米「五百万石」を使用し、酒米の旨味と芳醇な香りを楽しむことができる。

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(取材/株式会社Asian Bridge、撮影/トナミユキコ)

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