ローカルプロジェクト

【能登復興】震災を乗り越え、歴史を未来へ——中能登町の文化財復興への挑戦

2024年1月1日に発生した令和6年能登半島地震。発災から1年以上経過した今もなお、倒壊、破損したままの家屋や道路がその爪痕の深さを物語っています。

能登に暮らす人々の生活も元通りというわけにはいかず、震災後さらに追い打ちをかけるように豪雨被害や余震も起こり、不安を抱えながらも、復興に向けた一歩を模索する日々が続いています。

そんな中でも、少しずつ前を向いて進む人々の歩みが希望の光となり、能登を明るく照らす動きが様々な場所で芽生えているのも事実。

今回は能登半島の付け根に位置し、「能登文化発祥の地」中能登町で起こりつつある、文化財復興に向けた町の未来への取り組みをご紹介していきます。

中能登町のシンボル「石動山」と「雨の宮古墳群」とは

中能登町は能登文化発祥の地と言われ、能登上布などの伝統工芸品や祭りなどの伝統文化といった様々な文化遺産があります。

その一角を成すのが、国指定史跡の「石動山(せきどうさん)」と「雨の宮古墳群」です。

石動山は能登を代表する霊山であり、山岳信仰の拠点として古くから能登の人々の生活に根付いてきました。
山頂一帯には寺院跡が復元され、自然、歴史、文化を感じられるスポットとして人々を魅了しています。

石動山 大宮坊

同じく町の歴史を物語るものとして、中能登町には確認されているだけで600基を超える古墳が存在しています。
その中でも雨の宮古墳群は、整備された史跡として多くの町民や観光客が訪れる名所となっていました。

発災前の雨の宮古墳群

中能登町を象徴する歴史・文化のシンボルとして多くの人々に親しまれてきた二つの史跡。

中能登町の人々にとっても、長い時間を経て町の歴史、文化を作り上げてきた大切な存在であり、町のアイデンティティとなっています。

中能登町を象徴する史跡にも及んだ能登半島地震による被害

そんな石動山、雨の宮古墳群を含め、中能登町の貴重な文化財も能登半島地震によって大きな被害を受けました。

かつてはたくさんの人が訪れていた文化交流拠点でしたが、震災後、雨の宮古墳群や石動山の崩落した石垣付近は立ち入りできない状態が続いており、観光客の姿は大きく減少しました。

石動山大宮坊の崩れた石層塔
石動山大宮坊正面 崩れ落ちた石垣

特に、雨の宮古墳群は町内の文化財でも一番被害が甚大で、現段階で復旧工事の見通しがつかない状態となっています。

雨の宮古墳群 地震による地割れの様子

中能登町の財産を未来へ

復旧に際しては莫大な労力を要することが見込まれる上、ライフラインの整備など、最優先で取り組まなければいけない課題が山積しているなか、文化財の復興にかける優先度は低いかもしれません。

でも、地元の子どもたちからお年寄りまで町のシンボルとして誇り、町内外から多くの人が訪れてきた貴重な文化財。古墳や史跡の魅力を伝え、中能登町の歴史を守る大切な役割を担ってきました。
これらを未来へ残していくことは、中能登町の復興にとって欠かせない要素の一つです。

災害からの復興が進む中で、地域の誇りやアイデンティティを次の世代へと受け継いでいくためにも、文化財の再生に向けた取り組みを進めていくことが求められます。

石動山 伊須流岐比古神社 ©石川県観光連盟

現況調査や復旧工事が開始されても、復興までには3年、5年、さらに多くの年月を要し、その資金調達をどうしていくかということも町の大きな課題となっています。

国や県からの補助金を活用しながら、町としてクラウドファンディングによる資金調達も検討しているそう。

能登の文化復興へ向けて私たちにできることは、まず現状を知ること、そして関心を持ち続けること。
今後も中能登町の文化復興に向けた動きにぜひご注目いただき、中能登町の挑戦を一緒に応援し続けていきましょう!

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