祈りの山は、今もここに息づいている。

天下屈指の神仏習合霊場、石動山

石動山は、白山・立山の聖水が流れる豊かな山里に生まれた、古代からの山岳信仰の霊場です。
縄文以来の自然崇拝に、神道・仏教・修験道が重なり合い、
伊須流岐比古神社を中心に神仏習合の文化が花開きました。
中世には天平寺をはじめ多くの坊院や社を擁する、天下屈指の勅願霊場として栄えます。
しかし明治の神仏分離により壊滅的な打撃を受け、長く忘れられました。
今、往時の精神と文化を未来へ伝えるため、その復興が願われています。

石動山の自然と歴史・文化

石動山は、日本海と能登の山並み、そして白雪をいただく立山連峰を望む壮大な景観に恵まれた霊峰です。
西に日本海、眼下に邑知の里、北には能登島と七尾湾が広がり、その先には能登半島の山並みが連なります。
振り返れば、日本百名山にも数えられる立山連峰の雄大な姿が迫り、能登・氷見の海岸線や浮かぶ島々とともに、
訪れる人々を魅了する壮大なパノラマが広がります。
また、能登半島に残る貴重なブナ林をはじめとする豊かな自然が今なお息づいています。

この地では古くから人々が山や森、清らかな水に祈りを捧げ、自然への畏敬の念を育んできました。
石動山の開山には紀元前91年の方道仙人説や717年の泰澄説などが伝えられ、古代には山岳信仰と仏教が融合し、
山頂の大御前に祀られる虚空蔵菩薩を本地仏として崇める神仏習合の聖地として栄えました。

中世には修験道と真言密教が融合した信仰の中心地となり、多くの坊院や衆徒を擁する北陸屈指の霊場へと発展しました。
その中心を担ったのが、伊須流岐比古神社の別当寺として栄えた天平寺です。
天平寺は五社権現信仰の拠点として約360の坊院と3,000人もの衆徒を擁し、
広大な寺領を持つ天下有数の神仏習合の霊場を形成しました。
南北朝や戦国時代の戦乱によってたびたび焼失しながらも、その都度再興され、
加賀藩前田家や仁和寺の庇護のもと北陸を代表する勅願所として隆盛を極めました。

万葉歌人・大伴家持や源義経、さらには海外からの旅人たちも魅了した石動山は、
石動山・伊須流岐比古神社・天平寺が一体となって育んだ信仰と文化を今に伝える特別な場所です。
古代の山岳信仰から中世の修験道、そして近世へと受け継がれてきたその歴史は、
能登の自然・歴史・文化が幾重にも重なり合う貴重な遺産として今日まで息づいています。

支援・協力のお願い

明治初期の神仏分離令により、かつて北陸随一の霊場として栄えた石動山は壊滅的な被害を受け、その歴史や文化の多くが失われました。しかし、長い年月を経て神仏習合の精神や山岳信仰の歴史的価値が再評価され、1978年には国史跡に指定されています。

石動山は、豊かな自然と信仰、そして人々の暮らしが調和しながら育まれてきた、能登を代表する歴史文化遺産です。しかし令和6年能登半島地震により、当山をはじめ伊須流岐比古神社や天平寺などが再び大きな被害を受け、復旧・復興への取り組みが続いています。

先人たちが守り伝えてきた「和をもって尊しとなす」精神と貴重な文化遺産を次世代へ継承するため、霊場の本格的な復興に向けて歩みを進めています。皆様のご理解と温かいご支援を心よりお願い申し上げます。